「自由」の本当の意味 

今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガから
【「自由」の本当の意味】を紹介致します。

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皆さんは、もし曲がりくねった松の木を 「まっすぐに見てください」と
言われたら、どうするでしょうか。

まっすぐに見える角度を探す?

真上から松の木を見てみる?

はたまた・・・。

実はこれ、とんちで有名な、一休禅師のお題です。

そういうことなら・・・と、

何かひらめいた方もいるかもしれませんね。

今回ご紹介する本は、岡本一志さんの著書
『心が「ほっ」とする ほとけさまの50の話』
(三笠書房/王様文庫 刊)です。

著者の岡本さんは、全国仏教カウンセリング協会という、一般社団法人の
代表を務めておられます。

日本全国で講演会を開催する傍ら、仏教の教えに基づいたお悩み相談も
行っているのだそうです。

この本に書かれているのは、ほとけさま、つまりお釈迦さまが、今から
2600年ほど前に説かれた仏教の教えがベースになっています。

「仏教」というと、宗教はちょっと・・・という方も多いかもしれませんね。

でも、仏教は哲学に近い、という意見を述べる方も、結構多くいらっしゃいます。

実際、私たちの生活の中にも、仏教は知らず知らずのうちに入っていたりします。

例えば、「愛嬌」。

「あの人は愛嬌があるよね」なんて使ったりしますが、この言葉も元々は
仏教用語だったそうです。

元々は「愛敬(あいぎょう)」、仏・菩薩の優しく温和な様子を〈愛敬相〉といい、
また、人々の和合親睦を祈り、互いに愛し敬う心を起こさせる行動を〈愛敬法〉
というのだとか。

そこから、読みや当てる漢字が変わって「愛嬌」になったという説があります。

他にも「出世」や「工夫」なども元々は仏教用語から来ているのだとか。

そう考えると、仏教は私たち日本人にとって、比較的取っつきやすい考え方
なのでは?と思ったりもします。

さて、この本の中では「自由」という言葉について、紹介されています。

実は「自由」も、遡ってみると仏教用語が由来になっている言葉です。

「自らに由る(みずからによる)」と読み、本来の自分に立ち返るということ。

これが、「自由」の元々の意味です。

本来の自分の気持ちや、本当に自分がどうしたいのか?を感じることができた
なら、あなたはすでに「自由」です。

この状態に立ち戻ることができたならば、「こうしなければならない」とか
「こうするべきだ」といった、外側からの情報や、常識に惑わされず、
本当に自分がどうしたいのか、を感じて選択・行動できるようになるはずです。

それこそが、自分の人生をあるがままに、自由に生きるということに
つながるのではないでしょうか。

さて、冒頭でご紹介した一休禅師のとんち問答ですが、答えが気になっている
方も、いらっしゃるかもしれませんね。

この話を聞いた蓮如上人というお坊さんは、
「なに、わたしはもうまっすぐに見たよ」と言ったそうです。

蓮如上人曰く、この曲がった松を「曲がった松だなー!」と見たと言います。

曲がった松を「曲がった松だ」と見る。

物事をありのままにみること。

それこそが「まっすぐに見る」ということ。

自分の想いや都合を入れず、物事をあるがままに見る。

これが正しく見る、「正見」と言います。

私たちはついつい、「こうした方が良いんじゃないか」
「こうした方が得するかも」「こう思うけど、言ったらどう思われるか」
など、自分の気持ちですら曲げて、見てしまうことがあるのではない
でしょうか。

自分の気持ちや、心のありようを「まっすぐに見る」。

これこそが「自由」への第一歩、なのではないでしょうか。

現代社会の悩みや不安を仏教の教えを通じて解決していく。

古くから伝え繋がれているもの、だからこそ、現代の私たちにも役に立つ
ことが多いのかもしれません。

他にも、まさに心が「ほっとする」お話がたくさん紹介されていますので、
ぜひ一度読んでみていただきたい本です。

 

(参考資料)

『心が「ほっ」とする ほとけさまの50の話』

(岡本一志著 三笠書房/王様文庫 刊)

 

 

※『自分が、本当はどうしたいのか、感じる』のが自由なのですね!

ものすごく深いと思います。

普段使う日本語が、仏教から来ている用語だったのを知り、仏教に
親近感が沸きました。

世の中、朗らかに生きにくい感じになっていますが、真髄を突くと、
いたってシンプルなのかも、しれません。

本日も、ありがとうございました。

 

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