『すゑひろがりず』誕生秘話

今日は、Wikipediaから【『すゑひろがりず』誕生秘話】を紹介致します。

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結成以前は、別のコンビで、三島達矢(ボケ、扇子担当)は『バルチック艦隊』、
南條庄助(ツッコミ、小鼓担当)は『うずまき』として活動。
三島は2005年の今宮戎漫才新人コンクール、新人漫才奨励賞を受賞し、
同年のM-1グランプリには準決勝に進出するなど『西のオリエンタルラジオ』
と呼ばれるほどの若手の注目株であり、南條は『クイズ!紳助くん』の、
なにわ突撃隊としても活動していた。

三島と南條がそれぞれのコンビを解散した後、三島は別の相方とコンビを
組んでいた。
その三島の相方と南條がバイト先が同じで、喋っている時に
「ちょっと1回、入れてくれへん?」と南條が提案した。
南條は、最初のコンビを解散して不安だったが、三島は同期の中でエリートで、
もう一人はバイトで仲がいいのでちょうどいいと思い、軽い感じで
提案したところ、三島も「ああ、ええんちゃう?」と承諾し、トリオ
『ガンセキオープン』を結成した。

しかしその後、3年ほど劇場のオーディションに落ち続け、更にメンバーが脱退し、
2011年4月にコンビとなる。当初のコンビ名『ドロスス』、
その後、三浦マイルドの命名により、“南”條と三“島”の個人名に由来した
『みなみのしま』に改名。当時はアロハシャツを着用し、パイナポー南條と
ライチ三島で活動していた。

コンビになってからは全てのM-1グランプリファイナリストのネタを研究し、
様々なパターンの漫才を試したが全く芽が出ず、2012年頃には解散寸前にまで
追い込まれる。
そこで『これが最後』のつもりで出演した舞台で
「自分たちらしくないことをやってみよう」と挑戦した和風コント
『狂言風クリスマス』が大ウケしたことをきっかけに現在の芸風を完成させる。
このわずか2週間後には舞台衣装も着物に変えた。当初は余興のつもりだった
狂言ネタを本ネタにするよう2人に薦めたのは、後にM-1グランプリで争うことに
なるミルクボーイの駒場孝であった。

2014年6月に活動を大阪から東京に移す。2016年、芸風に合わせるために
『みなみのしま』から『すゑひろがりず』にコンビ名を変更。

 

※『すゑえひろがりず』は、お笑い芸人好きな方々にとって、知らない人は
いないと思います。

この文章を読んで、三島さんと南條さんが、ここに至るまで、壮絶な苦労を
してきたのが、よく解ります。

ひょっとしたら、これからの舞台で、今までの芸風を披露することがあれば、
更にファンが増えるような気がします。

こう考えるのは、私だけでしょうか?!

すゑひろがりずの、これからの活躍を、楽しみにしています。

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