佐藤輝明、野球人生唯一の涙

今日は、母が新聞の切り抜きを残してくれていた、2021年7月6日(火)朝日新聞、
スポーツ面より【佐藤輝明、野球人生唯一の涙】を、要約して紹介致します。

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2016年7月12日、兵庫県明石市の明石トーカロ球場。雨に打たれる仁川学院高の3年生、
佐藤輝明(現阪神)の姿があった。夏の兵庫大会1回戦だった。

この日、野球人生で一度だけという涙を見せることになる。

仁川学院は1998年に東兵庫大会で準優勝し、甲子園にあと一歩まで迫ったこともある。
だが、近年は目立った結果は残していない。
佐藤輝も「強豪校ではなかったこともあって、あまり甲子園に行きたいとは思っていなかった」。

佐藤輝は小学校から長く親しんだ捕手ではなく、4番・三塁手で先発した。
中尾和光部長は「2年秋まで捕手だったが、あの通りマイペース。
タイプ的に捕手じゃない。大学を見据えて内野をやらせていた」。

雨による35分間の中断も挟み、四回を終わって、1-11と10点差。
五回表、仁川学院の攻撃。点を取らなければコールド負けになる。

2死一塁で、ここまで2打数2安打の佐藤輝に打席が回ってきた。
「ホームランをめちゃ狙っていた」が平凡な中飛に倒れた。

ベンチに戻ろうとして、みんなが泣いているのを見て驚いた。
いま、苦笑しながら振り返る。
「ぼく、コールドだとは全然知らなかった。教えてくれればよかったのに。
知っていたら、もう少しつなぐバッティングができたんじゃないかと」。
知らないうちに最後の打者になっていた。

佐藤輝は試合後のミーティングで泣かなかった。だが、みんなが泣きやんで笑顔になり、
記念写真を撮り始めたところで急に泣き出した。

一塁手だった高取真祥さんは「テル、どうしたん」と思わず声をかけた。
「ごめん」とだけ返ってきた。
「みんなと野球ができなくなるのは悲しいな、と思って泣きちゃいましたね」。
野球で泣いたのは後にも先にもこれだけだという。

ジムに存分に通えたのは、学校が細かいことに口を出さない方針だったおかげもある。
「思うようにやらせてくれました。感謝しています」。
もし野球強豪校に進んでいたら、仁川学院で仲間に出会っていなければ・・。

今の姿はなかった。

※佐藤輝明選手は、泣かない人なのですね。

これから長い、プロ野球生活で、是非とも‘うれし涙’を流してほしいと思います。

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