江戸時代から“ええもん”が集まってきた天満市場
今日は、大阪メトロのフリーペーパー〔OMLETS!〕
(3/5発行、大阪メトロ制作)のTEMMA HISTORYより
【江戸時代から“ええもん”が集まってきた天満市場】を紹介致します。
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かつて、今の天神橋周辺に天満青物市場があった。
1653(承応2)年、四代将軍・徳川家綱の時代に京橋からこの地に移転。
当時は船が物資輸送の主流だったため、近江や紀伊、和泉など、
各地から“ええもん”が集まってきた。堂島の米市場、
雑喉場(現在の大阪市西区)の魚市場とともに大坂の三大市場に数えられるほど、
多くの人で、にぎわった。
明治30年には大阪乾物商組合が作られるなど、
市場に近い菅原町では乾物問屋街が発展。
今もその名残は色濃く残り、1883(明治16)年に乾物問屋として創業した
「和田萬」は今も、ごまの名店として健在だ。
多くの“ええもん”と人を集めた天満青物市場だが、
1931(昭和6)年に開場した中央卸売市場に統合されることになる。
(参考文献:『大阪天満卸売市場史』)
※食にこだわる大阪人のルーツは、鮮度の良い食材が、
地方から中心部に集まってきた歴史があるのが、由縁ですね。