下請けから提案型企業へと変化した事例 

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【下請けから提案型企業へと変化した事例】を紹介致します。

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【下請けから提案型企業へと変化した事例】

愛知県新城市に本多プラスという樹脂製品の成形メーカーがあります。

本多プラスは、1946年に愛知県新城市で現社長の祖父が、

本多セロファン工業所として創業した老舗メーカーです。

セロファン加工による毛筆用サヤ(筆を保護するためのカバー)などを起点に事業を拡大し、

2代目の代には、修正液のボトル製造では日本のトップシェアを占めるまでに成長しました。

そして、現社長の本多孝充氏が
入社した当時(1997年)、実に、売上の約8割が修正液のボトル製造となり、

この事業に依存している状態となっていました。

ところが、当時、時代の流れは、修正液から修正テープへと移りつつあり、

何かの対策を打たないと、その依存体質は問題となることが予想されていました。

そこで、当時営業本部長だった本多社長は、業務の幅を広げるために、

製品のデザインにまで踏み込むことを考えました。

とは言っても、当時の社内の意識は、そもそも

「取引先に言われたものを作りさえすればよい」という意識が強かったそうです。

さらに、取引先に提案しても「おたくにデザインを発注することはない。

そんな時間があったら、この不良品を直せ」といったことも言われたそうです。

そんなことに負けずに、本多社長は社内の構造改革を行いました。

具体的には、第1弾として新卒のデザイナーを採用しました。

しかしながら、すぐにデザインの仕事に就かせることはありませんでした。

デザインの仕事をさせる前に、工場のラインに配属し、金型の設計

・製作を経験させたそうです。

それだけでなく、検品や営業事務も経験させて、モノ作りの過程を知り、

営業ができるデザイナーに育てました。

また、従来は取引先の部門が企業の購買部門であったため、

客先から求められるのはコストの事ばかり。

本多プラス側が、製品のある部分の形を少し変えるだけで不良率が下がることを

提案しても、聞く耳を持たなかったそうです。

そこで、営業先を企業の購買部門から商品企画部門に替え、

デザイナーによる提案営業を行うことで、受注が少しずつ増えていきました。

いまでは、化粧品・食品・医薬品などを収納するデザイン性の高い容器を

幅広く世の中に送り出されています。

日本には、優れた技術力を有するもののデザイン力を生かしきれていない企業は

たくさんあるといます。

同社のような改革が参考になる企業も多いのではないかと思い、

本日のテーマとさせて頂きました。

お時間がありましたら、ホームページをご覧頂けますと幸いです。

<本多プラス>
https://www.hondaplus.co.jp/

※既存の業務を革新していく事は、エネルギーが要ります。

しかも、成功するか否かは、やってみないとわかりません。

本多プラスの本多孝充社長の決断と行動は、素晴らしいです。

最後まで、お読みくださり、ありがとうございました。

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