松坂大輔がボロボロになっても投げ続けたワケ

今日は、ヤフーニュースから
【松坂大輔がボロボロになっても投げ続けたワケ】
を要約して紹介致します。

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「僕みたいな選手は他にいないかもしれませんね。

最初の10年でいい思いをしたけれど、
後半は同じくらい、どん底を味わいました」

西武の松坂大輔投手は(10月)19日、

本拠地メットライフドームでの引退試合(日本ハム戦)前に
球団事務所で記者会見に臨み、23年間の現役生活を振り返った。
“平成の怪物”は、相次ぐ故障に見舞われボロボロになっても
なお投げ続けたのは、なぜだったのか。

確かに、現役生活の前後半は対照的だ。日米通算170勝(108敗)を

マークした松坂だが、そのうち141勝(75敗)は新人時代の
1999年から2008年までの10年間に挙げている。

苦闘の始まりはメジャー移籍2年目、レッドソックス時代の2008年だった。

オークランド遠征中、足を滑らせて、ポールをつかんだ瞬間に右肩を痛め、
同年オフに状態悪化。以降は投球フォームが大きく変わり、
痛くない投げ方や、痛くても投げられるフォーム探しを続け、
自分が求めるボールは投げられなくなった。

かつての剛速球は二度と投げられないとわかっていても、

松坂は12年間、あがき続けた。歴代最多の通算868本塁打を誇る王貞治氏は、
シーズン30本塁打を放った1980年に
「王貞治のバッティングができなくなった」と名言を残し、バットを置いた。

“昭和の怪物”と呼ばれた江川卓氏は13勝5敗、防御率3.51の好成績を残した1987年に

「自分本来の投球ができなくなった」として引退した。
ボロボロになっても現役にこだわる松坂の生き様は、先人の美意識とは対象的に見える。

松坂自身「もっと早く、辞めてもいいタイミングはあった」と認める。

現役後半、叩かれ批判されるのを力に変えて、跳ね返してやろうとする
負けん気が原動力の一つではあった。

そしてもう一つ。松坂には横浜高3年の夏の甲子園で、強烈な成功体験を得た。

PL学園との準々決勝で何度も敗戦の危機に瀕しながら延長17回の末、
9対7で勝ち切った。松坂は250球で完投した。
「あの試合があったから、最後まで諦めなければ報われる、
勝てる、喜べると信じることができた。あの試合が原点でした」。

栄光だけではない。不遇の12年間を戦い続けることができたのも、

平成の怪物ならではだったのだ。

※松坂大輔投手は、プロ野球ファンなら誰でもが知る、絶対的存在です。

ただ、後半12年間もの間、苦しみ続けたのは、こうして読ませて頂いて、

改めて知りました。

美しく身を引く選手が多い中、ボロボロになるまで闘った松坂大輔さん。

素晴らしい人です。

23年間、お疲れ様でした。ありがとうございました。

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