白鵬『変幻自在、探究心のたまもの』
今日は、読売新聞9月28日(火)スポーツ面より
【白鵬『変幻自在、探究心のたまもの』】を紹介致します。
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白鵬の勝負に対する研究熱心さは群を抜いていた。
2001年夏場所。初めて序ノ口の番付に、しこ名が載った白鵬の記録は黒星で始まった。
当時の体格は1メートル80、80キロ。
取り立てて特徴のない16歳の少年に注目する人は皆無に近かった。
だが、幕下から幕内、三役へと番付を駆け上がった頃の白鵬は、
スポンジが水を吸い込むように技術を体得した。
印象深いのが入幕2場所目の04年名古屋場所。
相手を高々と3度もつり上げながら、相手をつったまま土俵外に出ても負けにならない
「送り足」という相撲の基本ルールを知らず、逆転負けする失態があった。
無知ゆえのスケールの大きさでもあったが、「毎日相撲を取るのが楽しみ」と目を輝かせ、
必死に相手に食らいつく姿に底知れぬ潜在能力を直感した。
横綱昇進後は、過去の名勝負の映像を研究し、双葉山や大鵬ら過去の
大横綱に心酔する発言も目立つようになった。
実際の取り口でも成果が随所に見えた。まわしの切り方や、かいなの返し、
四つ身の型、対戦相手に応じた臨機応変の戦法の妙は頭一つ抜けていた。
稀勢の里が長い間、賜杯や横綱昇進を阻まれたのは、多分に
「白鵬の壁」を崩せなかったことが要因だった。
「絶対的なライバル不在」が白鵬の独走を許したのは確かだが、
持ち前の素質や探究心があったからこそ、他を寄せ付けなかったのも事実だ。
(上村邦之氏)
※最多優勝45回の偉大な横綱が、とうとう引退しました。
双葉山に次ぐ連勝記録や、横綱在位84場所、16回の全勝優勝、
通算1187勝の歴代1位をマークしました。
行動などで評価を下げることも多少ありましたが、数々の大記録達成は、後世に残る偉業です。
大阪へ来てすぐに芽が出ず、すぐに故郷へ返されるかもしれないピンチもありました。
しかし白鵬は、絶対に相撲を諦めることはなかったんですね。
この執着心があれば、なんでも成就すると感じました。
本日も、ありがとうございました。