「武道的思考」とは何か?

今日は、いつも楽しく読ませて頂いているメルマガから
【「武道的思考」とは何か?】を紹介致します。

 

皆さん、ブドウはお好きですか。

今回お話したいのは「武道」の方です。

「興味もないし、なじみもないなあ」
「殴ったり、蹴ったりするやつでしょ?」
「昔は柔道やってたけど・・・」

というリアクションの方がほとんどかなと思います。

今回の本は、我ながらマニアックだなと思いつつ、ご紹介させてください。

『武道的思考』(内田 樹 著/筑摩選書 刊)です。

著者の内田樹さんはフランス文学者、翻訳家、思想家、エッセイストで、
神戸女学院大学名誉教授でいらっしゃいます。

ただ、本人は本書の中で、さまざまなトピックについて文章を書いたり、
論じたりするので「本業は何か?」と問われるけれど、主観的願望を
言わせていただければ『本業は武道家』です、と書いています。

実際、合気道の道場「凱風館」をご自身で創設され、館長も務められています。

そして、武道をしていると「何段なんですか」「どれくらい強いんですか」と
問われることも多い、と言います。

※ちなみに、Wikipediaによると合気道七段、居合道三段だそうです。

内田さんは「強さ」についてこう述べます。

「そもそも『強い』ということを基準に武道の修行をしていないので、
答えようがありません」

ここで、多くの方は「?」となるはずです。武道とは、強くなるためのものでは
ないのか?と。

内田さんは、武道の本旨は「人間の生きる知恵と力を高めること」だと言います。

生きる能力は、他人と比較するものではありません。比べてよいのは「昨日の自分」
とだけ、と内田さんは説きます。

武道が想定しているのは「競技」ではなく「危機的状況」だと、内田さんは言うのです。

極端に言えば「何が起きているかよくわからない混乱の中で断片的情報から今起きつつ
あることを適切に推理する力」も、生きる知恵と力の一つでしょう。

ここまで聞いて、皆さんどうお感じになりましたか。

「え?武道って勝ち負けが重要なんじゃないの」
「スポーツみたいなもんでしょ?」
と思われた方もいるかもしれませんが、少なくとも内田さんは、本来の「武道」は
「スポーツ」とは別物である、と言います。

古来あった武道は、「他者との共生」を「生き延びるための必至の技術」として身に
つけることなしには、上達しないように構造化されていた、というのです。

内田さんは「宴会」も、いわばある種の「共同的身体運用」だというのですが、
このあたりの詳しい説明はぜひ本書を手にとって読んでみてください。

この本は、内田さんがさまざまな媒体に書かれた「武道」や「武道的思考」に関する
原稿をまとめたものです。

なので、同じ話が繰り返し出てきたり、「これと武道とどう関係があるのか?」と
読み始めは思うようなものもあります。

でも、一つひとつのトピックスが短くまとまっているので、大変読みやすいです。

興味を持たれる方は一部かもしれませんが・・・ぼくは大変興味深く読ませて
いただきました。

「武道的思考」に興味のある方は、ぜひ手にとって、読んでみてください。

(参考資料)
『武道的思考』(内田 樹 著/筑摩選書 刊)

※武道について、考えさせられました。

深いですね。本日も、ありがとうございました。

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