アントニオ猪木さん死去
今日は、読売新聞10月2日(日)社会面より【アントニオ猪木さん死去】を紹介致します。
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「燃える闘魂」と呼ばれた元プロレスラー、
アントニオ猪木(あんとにお・いのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが
(10月)1日朝、心不全で死去した。
79歳だった。
日本のプロレスの黄金期を牽引し、参院議員も2期務めた。
2019年に難病「心アミロイドーシス」を発症して闘病中だった。
葬儀は家族葬で行う。後日、お別れの会を開く。
1943年、横浜市生まれ。13歳の時に一家でブラジルに移住し、
コーヒー農園で働きながら、砲丸投げの選手として活躍。
17歳の時、ブラジル遠征中だった戦後のプロレス界のスター・力道山にスカウトされ、
日本プロレスに入門した。
ジャイアント馬場さんと同時にデビューし、力道山の死後の72年に新団体・
新日本プロレスを旗揚げ。
「卍固め」「延髄斬り」などの技で、別団体を設立した馬場さんとプロレスブームを
巻き起こした。
76年にはボクシング・ヘビー級世界チャンピオンだったモハメド・アリと対戦し、
「世紀の一戦」として注目を集めた。
89年にスポーツ平和党を結成し、参院選比例代表で初当選。
90年にはイラクで人質となった邦人の解放に尽力した。
北朝鮮をたびたび訪れるなど、独自の外交活動も繰り広げた。
ほおを平手打ちする「闘魂注入ビンタ」、「元気ですかー!」
「1、2、3、ダーッ」と声を張り上げるパフォーマンスはプロレスファン以外にも
親しまれた。
※とうとう、アントニオ猪木さんも他界してしまいました。
小学生時代、プロレスラーと言えば、アントニオ猪木さんでした。
毎週金曜日のゴールデンタイムに、テレビで新日本プロレスの試合を、観戦していました。
猪木さんは亡くなってしまいましたが、沢山の方々の記憶には、永遠に残ると思います。
猪木さん、ありがとうございました。