『営業一筋、現場を大切に』布施孝之キリンビール社長死去
今日は、読売新聞9月4日(土)経済面より
【『営業一筋、現場を大切に』布施孝之キリンビール社長死去】
を紹介致します。
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(9月)1日に死去したキリンビール社長の布施孝之氏は、入社から
一貫して営業畑を歩み、なにより現場を大切にする人だった。
亡くなった当日も、営業社員との対話集会に参加し、キリンの
将来を熱く語っていたという。
大阪支社長に就任し、意気揚々と乗り込んだ2008年。
アサヒビールなどライバルが強い地域にもかかわらず、ベテラン
から若手に営業ノウハウがうまく受け継がれず、社内の雰囲気も
良くなかった。
「結果が出ないのは自分のせいだ」。
年末、同僚らを前に頭を下げた。
翌年、刷新した「一番搾り」の売り上げを増やすために明確な
目標を掲げ、若手の頑張りを積極的に評価し、雰囲気を変えた。
業績は伸び、支社は表彰された。
10年にグループの小岩井乳業の社長に就任した直後には、
立て直しのためのリストラを迫られた。
早期退職を選んだ社員一人ひとりと面談してそれまでの
働きぶりを振り返り、感謝の手紙を手渡した。
15年にキリンビールのトップに就任した時も逆風が吹いていた。
アサヒとの差が開き、第3のビール「金麦」が好調なサントリー
ビールにも猛追されていた。
「世のため、人のためが、もうけにつながる」。ことあるごとに
口にしてきた信条を基に、徹底的に客のニーズを探った。
18年に発売した「本麒麟」は大ヒットし、今のキリンの好調に
つなげた。
担当記者として接した時、
「俺はキリンホールディングスの社長にはならないよ」と話していた。
経営戦略を示す持ち株会社よりも、現場を愛したのだろう。
コロナ禍で疲弊した飲食店を、最後まで心配していた。
(記者:栗原健氏)
※訃報は、急に届きました。
キリンホールディングスは、素晴らしいトップを、急に失ったのは、
この記述からも、充分解ると思います。
世のため、人のための延長線上にしか、もうけに繋がらないことを、
身にしみて感じました。
布施孝之社長のご冥福を、深くお祈り致します。